(翻訳:ワシリー・クジメンコフ) 漫画・ポップは、ポップスと漫画のスタイルを合わせたもので、簡単に覚えられるメロディや歌詞とアニメの動きや舞台性という魅力を利用し、お互いを補完しています。
この言葉の定義は幾つもありますが、コンセプトの根源には常に著者が作ったキャラクターから私たちに送られるある種のメッセージがあります。漫画・ポップは、カルチャー以上のものとなり、漫画やアニメの枠を超えて現実の世界に入り込み、服装、アクセサリー、ヘアスタイル、音楽や生活スタイルに反映されています。
この流派の元は日本の音楽文化であり、J-Pop、J-Rock、Visual Keyといえば十分に理解され、自分のことを尊敬するあらゆる漫画・グループの創作の一部である有名なAMV(アニメ・ミュージック・ビデオ)を思い出せば十分です。
漫画・グループの創作の中で役者の舞台イメージは価値の面ではかなり重要です。ここで言及すべき「カワイノスチ」と言う概念があります(日本語の「カワイイ」が語源、素敵であること)。カワイイキャラクターのスペクトルはとても広く、その中には制服を着たの日本女子校生やフリルのついたハイソックスをはき、ひものついたドレスを着た人形みたいなロリータ(Gothic Lolita)から、「ペルソコン」と呼ばれるパソコン人間(「Chobits」シリーズ)や猫に似た手、しっぽ、耳を持った「ネコ」と呼ばれるキャラクター(日本語の「猫」が語源)まであります。
音楽そのものは、グループ、または個人のが届けたいメッセージによって、軽い感じにも、重い感じにもなりうるものです。声については、たいてい子供っぽい高い音で、特徴的な柔らかさと「銀色のトーン」を持ったものです。
先ほど言ったように、このスタイルの本質的な特徴であるAMVは、音楽家の聴衆へのメッセージを中継するというコンセプトをより簡単にするものです。通常のビデオと違って、アニメ・クリップは音楽家がある曲を作るときに頭の中で生まれた絵やアイディアをもっとも詳細に明らかに再生することができます。この場合は、1つ1つの身振り、キャラクターのミミックや外部環境が効果を発揮し、その環境はいつも現実の世界に属しているのではなく、別の銀河、または完全に抽象的であることも可能で、それは通常のビデオで伝えるのはけっこう難しいことでしょう。それと、AMVのキャラクターが日常理解の年齢、性別、人間の外見がない仮作の存在であることができます。プロの俳優でなくても良い、著者の指導に従ってプロの画家が画くことで十分です。
もちろん、AMVの存在によって、音楽家が主役である鮮明で簡単に覚えられるビデオクリップを録画しなくなるということはないが、この場合、詳細にかなり注意を払わなければなりませんし、ジャンルの範囲にとどまるためには実現するのにかなりの予算を提供しなければなりません。大事なポイントはプロットであり、舞台イメージであり、特別な衣装であり、特殊メイクアップであり、個々の要素をCGを駆使して処理することです。
現在のロシアに存在する漫画・グループは驚くほど少ないです。それは主に漫画・ロック・グループで、漫画・ポップ音楽に関してはかなり悲しい状況です。この意味では「カトリン」プロジェクトはジャンルのパイオニアと言っても良いです。その理由は、ロシアではいわゆる代替音楽が怖いとか、フリークが嫌であることではありません。ただ、ラジオ局のほとんどが独自の基準で放送しており、新しい、普通ではないものは疑いをもって扱っています。音楽家に関しては、ロシアのショー・ビジネスは残念ながら才能ではなく、コネクション、権力とお金が大事にされており、結果としては才能と個性が全然ない単調な「ワン・デー・スター」となっています。これはサウンドの性質、パフォーマンスのマナー、内面的な哲学の欠如であり、それによって、退屈でつまらないものになっています。
もちろん、例外があります。ほとんどの場合、それはわずかではあるが目的を持った観客を持ち、興味深くてオリジナルの音楽を演奏するアンダーグラウンドのグループです。しかし、このようなグループは地下から出てくるチャンスはメジャーなレーベルと契約を結んだ場合だけです。
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